母への報告が間に合いませんでした。。。。。

私は娘が小学校6年生の2学期までは娘の成績には全く無関心でした。
仕事三昧の毎日でした

そんなある日娘がA高校に行きたいと言って来ました。
A高校とは偏差値が72もある難関校でした。

家庭教師 私は、娘のこの一言で娘の家庭教師を土日は行うようになりました。
それは娘が小6の3学期からでした。
私の家庭教師は半端ではなくて、土日は毎週10時間勉強を行いました。

そのかいあって中学に入った時の実力テストで娘はクラスで1位に輝きました。
私の家庭教師は中一の夏頃まで続きました。

娘も一生懸命に勉強しました。
中学時代は全校で1位になった事も何回かありました。

娘が、もう私1人で勉強するから私の家庭教師はしなくても良いと言ったのが中1の夏休みでした。

それから2年後。
中3になった娘の生活は感動ものでした。

朝は6時に起きて7時には中学に行って勉強していました。
又、学校の授業が終わると今度は塾に行って毎晩23時まで勉強していました。

娘の友達もその姿を見て『Bさん(娘)を見ていると涙が出てくる。』と周りに感動も与えていました。

そんな中、私のは身体が弱くて入退院を繰り返していました。
私は、母のお見舞いに行く度に娘の頑張りを報告していました。
私の母も、孫が可愛いので応援していました。

合格発表 そんな苦労が実ったのが娘の高校の合格発表の日です。
その日は私も妻も仕事を休んで娘の合格発表を見に行きました。

午前9時。
遂に、合格発表が掲示板に貼りだされました。

私はドキドキしながら掲示板を見ました。
すると娘の受験番号が見事にありました。

私も妻も娘もみんな感動で泣いていました。
小6の3学期から始まった頑張りが遂に実りました。
この年、娘の中学からA高校に合格出来たのは娘を含めてたった2人だけでした。

それだけの難関校に合格したので家族全員感動の嵐でした。
私は妻に『今から母にも娘の合格を報告しに行こう!』と話しました。

すると私の携帯に母が入院している病院から電話が入りました。
内容は『今朝、突然具合が悪くなって危篤です。今すぐ病院に来て下さい!』というまさかの知らせでした。

私と妻は大慌てで病院に走りました。
しかし、母は病院に着く寸前で亡くなってしまいました。

私は、娘の合格を母に報告で出来なかったので大泣きしました。
何で後1日生きていてくれなかったのかと悔やんでも悔やみきれない気分でした。

 
棺のイラスト 母の棺には娘の合格証明書のコピーを入れました。

私は、生きて娘の合格を母に報告する事は出来ませんでしたが、天国でちゃんと受け止めてくれていると信じました。

正に、天国と地獄が一緒になった忘れられない一日でした。。。


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次回は 親の心子知らず。。。。。